社長ブログ -雑多な日々-

伯父からの手紙

[社長ブログ] 2014年02月13日



年末に、伯父の忠雄さんから手紙が届きました。





忠雄さんは母の弟になります。


脊椎の病気になって、障害をかかえながら


義足の会社で定年まで立派に勤め上げました。





長い長い手紙。


そこには、わたしへのおもいと、200首以上にも及ぶ


歌がしたためられていました。





母の家族は第二次世界大戦中満州に疎開し、


終戦時に命からがら引き揚げてきました。


多くの人がそうであったように、


母も戦争については多くを語りませんでした。


しかし、忠雄さんの手紙にはその頃の情景が


目に浮かぶように綴られていました。





緊迫と 雑踏の駅 仙台の  

        憤り泣いた 満州の出立


夜も明けぬ 睡りの中を 兄たちは

        耕地に行きて 二汗 三汗


招かれざる 開拓の我等 居座りて

        素朴な村人 騒がせし罪


日々怪し 豚牛馬が 消えて行く

        庭の囲いの 鶏までも


ひそひそと 一家心中 自殺なぞ

        日常茶飯事 聞き耳の我


弟が逝く 枯枝の如く さらばいて

        衣服を入れし 箱を棺に


抱かれて 力の尽きて 妹が逝く

        衣服を入れし 棺は其の箱


姉を呼び 噛んで含めて 論らせて

        入滅の如く 母は旅立つ


幾百も思いを残し 母が逝く

        定めにあらぬ 定めの憎し


きぬ子姉 見つめし我を 再度見る

        密かに決めし 今生の別れ


中国の 民と成りたる 姉を待つ

        娘の心 まだ読めぬ父


満鉄を 下車させられて 野宿する

        列車は去るて 夜具飯もなし


母居れば まだ甘えたき 十一の

        共同井戸で 米を磨ぐ姉


歯も生えず 身長伸びず 異状なる

        只一週間の 通学体験


限界を 疾うに越したる 痛みかな

        思い出しては 苦笑の涙


負ぶされと 姉が背を出す 済なるさよ

        身を委ねつつ 医院へ行く我


無念なり 少しは息抜き 其の時に

        姉亡き日々の 味気のなさよ


・・・



後半明るい歌を、と思ったのですが駄目ですね。


社会に大きく貢献して尚且つ幸せに成ってくれていることは


私にとって誠に嬉しく誇りに思っています。


姉が居たら如何程喜んだか・・・





手紙を頂いた次の日、わたしは


忠雄さんにお礼の電話を入れました。


そしてぜひ会社にも遊びに来て下さい、と言いましたが、


忠雄さんは、


「親戚が我がもの顔で出入りすると、社員さんがいやがるから」


とやんわり言ってくれました。


そう言いながらも、用も無いのに

何度も会社の前を車で通った、とも言っていました。





機会がある度に、何度も手紙を読み返しています。





私たちは、お客様のお住まいを建てたり直したり、


売却のお手伝いをさせて頂いています。


しかし、建てて終わり、売って終わりではなく


ずっと心に残るおつきあいをさせて頂きたいと思います。





わたしたちライズシティとの出会いが


お一人お一人の人生のドラマに


少しでも彩りを添えることができれば本望です。





天国の母、そして父。


そして忠雄さん。


応援して下さるたくさんの皆さま。




そんな方々のおもいに応えるためにも


真摯に事業に取り組んでいきたいと思います。


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