ライズシティ社長の会社設立の想い

ライズシティ社長の会社設立の想い

はじめての建設業

34歳のときに、私は倒産したばかりの建設会社に飛び込みました。
なぜそんなことをしたのかというと、私は二十代の頃に大変なご支援を頂いたからです。

当時私は「SMI」という自己啓発教材の営業をしていました。 それは個人や企業を発展させるためのテキストやトテープ、
そして目標設定マニュアルです。 その社長は愛用者として熱心に学ばれました。 3年もたたずに、その会社の売上は大きく伸びました。 社長は大変喜んで頂き、100人以上もの周りの友人や知人などを紹介してくれたのです。

強力な後押しのおかげで、私自身の売上も伸ばすことができたのです。
しかしその社長は満足してしまったのか、いつしか疎遠になっていきました。

SMIで営業マンだった頃。全国3位、東北ブロックでトップだったことも。

そして7、8年後・・・

仲間からなんとその会社が「倒産した」という噂を聞きました。 驚いて本人のもとへ行ってみると、社長と奥さんが迎えてくれました。
聞くと、倒産の手続きのひとつである「民事再生」の手続きをしたとのこと。 債権者会議も終わったばかりで疲れ果てた顔をしていました。 しかし、わたしにはまず「民事再生とは何なのか」がはっきりと分かりません。

よくよく話を聞くと、民事再生というのは、会社としては一度倒産になるが、債権者の過半数が承認されれば役員などを解任せずにそのまま事業を続けてよい、というものでした。 倒産してもそのまま事業ができるという面で違和感はありましたが、当時はその法律自体が発効して間もない頃で、「そごう」など大手も含め、倒産した企業はこぞってこの手法を取りました。

「以前大変にお世話になったご縁です。何かお手伝いできることはありませんか?」と聞くと、
「早坂さん、なんとか一緒に仕事をして下さい。会社の再建に力を貸して下さい」と、社長と奥さん二人に泣いて頼まれました。
これには驚きました。 そこまで私を頼りにしてくれていたのか。 私は建設業に関して何も知らない全くの素人なのに。
助けたいのは山々ですが、このお願いには正直かなり迷いました。

なぜなら34歳の私は結婚もして幼子3人。 年収も1,000万円近くありました。 その上、当時の日本はバブルがはじけて不景気のどん底の時代。 その象徴的な産業である建設業です。 しかも名も知られていない郊外の小さな土木工事会社。 間違いなく人生を左右するリスクが伴います。

30代の頃、ソフトウェア販売会社の統括本部長として、120人のグループを束ねる

散々考えましたが、最終的にはやることにしました。
なぜか? それは、父が同じ建設業で倒産していたからです。

その時、私は高校生でした。 もちろん私の力では助けることなどできませんでした。
経営者にとって倒産というのは人生を失うことに等しい。 それだけでなく、家族にも大変な苦労をかけます。 私たち家族は実際にそれをイヤというほど体験しました。 毎日家に帰れば玄関先に借金取りが10人以上もたむろしていました。 父は雲隠れ。 母がじっと黙って対応していました。
父が立ち直ってまともな職に就くことはついにできませんでした。

今、その社長を救えなければ、私は人生で「二人」見殺しにすることになる。 そしてその家族も不幸になっていく。 仮に私が他の道で成功しても、世話になった人に恩返しもできないで、何の価値があるのか。 様々な人とのご縁があって今までやってこれたんじゃないか。 そう思ったら、もういてもたってもいられません。 私は妻に相談することもなく独断で飛び込みました。